健康保険証がほしい

「私、どうしても健康保険証がいるのです。どうしたらいいのでしょうか」
そういって相談にこられたのは、60歳をすぎた、上品な女性、B子さん。健康保険証がなく、病院にかかれずに困っているという。風邪など軽い病気の場合は薬を買って飲んでいたが、これから大きな病気をしないとも限らない、どうしても健康保険証がほしいと、切々と現状を訴えられる。では、なぜ健康保険証がないのだろう?

「夫とは別居です。今は息子とふたりで住んでいます。息子が大学を卒業するまでは、息子も夫の健康保険に入っていて、必要なときに保険証を貸してもらっていたけれど、息子が就職してからは、夫は健康保険証を貸してくれません。そのまま5年が過ぎました」

現在のように健康保険証が個人別のカードではなく、一枚の紙だったときの話だ。だから、その都度夫から借りないことには、使えない。それなら国民健康保険に加入しようと思って手続きにいったが、夫の扶養からはずれたという証明を持ってきなさいと言われて困ってしまい、そのままになっているという。

「どうしても夫には連絡を取りたくないのです。連絡を取らないでなんとかなる方法はないでしょうか」と、B子さんは言われる。
「夫が、別の女性と住んでいるので、連絡したくないのです」
そういう事情だったのか・・・

夫から生活費の仕送りはまったくないと言われるので、「婚姻費用の分担といって、生活費は請求できるのですよ」とお話ししたが、生活費はいらない、自分でなんとか暮らしている、とにかく、健康保険証だけがほしいと言われる。

さらに、お話をきくと、20年以上もこのような別居生活だったとか。その間、ひとりで、2人の息子さんを育ててこられたのだ。

結局、同居の息子さんが会社員だとわかったので、息子さんの扶養家族として健康保険の手続きするように、おすすめした。特別に保険料を負担することもなく、夫と連絡することもなく、一番いい方法だ。

するとB子さんは「母親が息子の扶養になることで、息子の会社に、変に思われませんか」と「世間体」を心配される。自分の親を扶養に入れることはよくあることだとお話しすると、やっと「そうしてみます」と言って帰られた。

しばらくして、B子さんからお手紙がきた。「息子の扶養に入れました。これで健康保険証が使えます」と書いてあった。

夫と別居して20数年。子どもの学費だけは夫から仕送りがあったが、B子さんは、自分自身も働きながらお金の工面をし、子育てもひとりで背負ってきた。息子たちが就職し、老後の資金もなんとか目処がたち、最後に困ったことが「健康保険証」だったのだ。

婚姻費用の分担も請求もせず、かといって、離婚にふみきるわけでもない。この長い期間、B子さんはどういう気持ちで暮らして来られたのだろうか。お金はいらない、でも、絶対に離婚はしない、いっしょに暮らす気持ちのない夫であっても、他の女性には渡さない、そんな執念が「健康保険証がほしい」というB子さんのうしろがわに見えた。