第1回 人事担当1年生が学ぶ、高齢者の雇用あれこれ

株式会社ABCでは、4月の人事異動で、若手の白石さんが人事部に配属されました。

白石さんはこれまで営業部のリーダーとして仕事をしていましたが、チームをまとめる力に期待され、人事部へ異動となりました。

新しい仕事に取り組む白石さん、初めてのことばかりで、緊張の連続です。先輩の黒田さんは超ベテラン。2年後には定年を迎えるので、後輩の指導には力が入ります。お母さんのような雰囲気を持つ黒田さんに叱られながら、白石さんは仕事に取り組んでいます。人事部長の赤星さんは、黒田さんを信頼していますし、白石さんにも期待しています。

人事担当1年生の白石さん、これから、いろいろなことを勉強します。第1回目は、高齢期の雇用にかかわる問題について、そのポイントを白石さんといっしょに学びましょう。

◆定年を迎える社員の不安は?

株式会社ABCでは、さっそく、今年度中に定年を迎える社員を対象に、説明会を開きました。対象者は6名。会社には、「シックスティスタッフ制度」と名づけた継続雇用制度があって、60歳定年後、1年毎の雇用契約を結び、希望者全員が65歳まで働き続けることができます。ただし、賃金体系や労働条件が変わるので、社員にはよく説明し、情報を伝えなければなりません。

継続雇用制度については、白石さんがそのしくみを説明しました。事前にしっかり勉強しました。白石さんは自分の持ち時間に制度の説明を終えてほっとしましたが、その後の質問タイムで、いろいろな質問が飛びだしました。「働き続けた場合年金はどうなりますか」「雇用保険から給付金はどのくらいもらえるのですか」など、次々に質問が飛び出します。新人の白石さんは困ってしまいました。ベテランの黒田さんが答えてくれたのですが、黒田さんにもわからないことがありました。

定年を迎える社員は定年後の暮らしや年金について不安に思っているので、継続雇用制度の説明だけではなく、生活設計全般についてのアドバイスが必要なのだと、人事部のメンバーは感じました。

◆在職老齢年金はどうなる?

説明会のあとで、「もう少し詳しく教えてください」と青木さんがやってきました。青木さんは6名のうち、最初に60歳になる社員です。継続雇用を希望しているので、制度利用第1号となる人です。

「60歳以降に賃金が下がるのはわかりましたが、年金との関係を教えてほしいのです」と青木さんは質問です。 実際にいくらぐらい年金がもらえるのか、今後の生活設計をたてるために、青木さんはあらかじめ知りたいと思っています。年金事務所へ行って、年金見込額を調べてきました。

昭和22年8月生まれの青木さんは60歳から報酬比例部分の年金、64歳から定額部分の年金を受給できる人です。

若いときからずっと同じ会社で働き続けて来た青木さんの年金見込額は、60歳からの報酬比例部分が約120万円でした。「でも、働き続けたら、これは全部もらえないのですよね。どのくらいになりますか?」と青木さんは心配です。

60歳以降も働き続ける場合は、在職老齢年金の仕組みによって年金は減額されます。

「青木さんの場合は、退職前にボーナスがありますから、そのボーナスが年金に影響するのですよ。60歳からの給料を20万円として計算してみますね。すると、1ヵ月10万円の年金が4万円になってしまいます。給与は20万円ですが、過去1年間にボーナスが120万円あったので、それが影響するのですよ。120万を12ヵ月で平均すると、1ヵ月当たりのボーナスは10万円です。年金は10万円、給料は20万円、合計すると40万円。限度額28万円を12万円超えているので、その半分の6万円が支給停止となります」と黒田さんは、図に書いて教えてくれました。

「もともと60歳から全部の年金をもらえないのに、半分以下になるのですか」と青木さんは驚いています。

「シックスティスタッフ制度ではボーナスがないので、定年前の最後のボーナス支給月から1年経過すると、年金額はもう少し多くなりますよ。常に過去1年間のボーナスが影響し、年金額が変わるのですよ」

「なんだか、複雑なしくみですね」と青木さん。

2003年4月より総報酬制が導入され、2004年4月から在職老齢年金の計算にボーナス分も含めることになり、ボーナスの支給があるたびに在職老齢年金も変更なるので、大変わかりにくい制度になっています。

「最後のボーナスをもらってから1年過ぎると年金額は増えるので、その間はガマンするということですね」と青木さんも、少しわかってきたようです。

「途中で会社を辞めるようなことになったら、カットされる前の本来の年金額にもどるのですか」と青木さんは質問です。

「退職後、1ヵ月経過すると、年金カットはなくなりますよ」と黒田さんは答えます。

◆賃金と年金と高年齢雇用継続給付で生活設計を

「青木さんは、雇用保険からの高年齢雇用継続給付も対象になりますよ」と黒田さんは説明を続けます。

雇用保険制度には、60歳以降の賃金が60歳到達時賃金に比較して75%未満にダウンした場合に支給される、高年齢雇用継続基本給付金があります。

「わかりやすく説明すると、60歳以降も働き続けることを応援するしくみです。青木さんの場合は半分くらいに給料が下がってしまうので、実際に支払われる賃金の15%の給付金がありますよ。ただし、給付を受けると、それにしたがって年金がさらに減額されますが、トータルでは手取りは増えるので心配はありません。青木さんの賃金を20万円で計算すると、高年齢雇用継続給付は3万円、年金はさらに12,000円カットとなりますが、高年齢雇用継続給付を受けることにより、手取りは18,000円増えますよ」

「60歳以降働き続ける場合は、賃金、年金、高年齢雇用継続給付の3つで生活設計をたてればいいのですね。」と青木さんは言いました。

「黒田さんはくわしいですね」と白石さんは驚いています。
「私もあと少しで定年だし、自分のことが心配で、いろいろ調べました。でも、これは人事担当者として必要な知識です。社員の人生の選択を手伝うのですよ。正確な情報を伝えられるように、勉強してくださいね。びしびし鍛えますよ」と手厳しい黒田さんです。

ふたりの会話を聞いていた人事部長の赤星さんが言いました。

「会社としてもこのような制度を理解して、本人にとっても会社にとってもいい働き方を決定していくことが大切だね。60歳以降は、ゆとりを持って働きたいという人もいる。働く時間が少なくなると当然賃金も少なくなる。しかし、在職老齢年金や高年齢雇用継続給付を利用することにより、トータルとして、必要な生活費を確保できるようになるんだ。会社も人件費の節減という点でメリットはあるし、ベテラン社員の力はまだまだ活用したいし、そのためにも、年金や雇用保険のしくみはしっかり勉強しておいてほしいよ」

◆退職後の健康保険は?

「さあ、次の課題です。退職後の健康保険の相談はよくあることなので、答えられるようにしっかりマスターしてくださいね」と黒田さんの指導は続きます。これを読んで勉強しておきなさいと、参考書を白石さんに渡しました。

さて数日後。

「退職後の健康保険にはどのような選択がありますか?」と黒田さんのレッスンがはじまります。
白石さんは、答えます。「退職後の健康保険には次の3つから選択します。社会保険を任意継続する。国民健康保険に加入する。扶養家族となる」

「白石さんは、テキストを丸暗記してきましたね。では、どれが一番いいかと聞かれたらどのように答えますか」

「退職前の所得が影響して国民健康保険は高いので、任意継続をすすめます」

「それはどうでしょう?  定年退職では、一般的にはこれまでの健康保険を任意継続する方が有利になりますが、すべての人にあてはまるわけではありません。 任意継続した場合と、国民健康保険に加入した場合と、保険料を比べて検討するように説明しましょう。任意継続した場合の健康保険料はすぐにわかるので、調べて答えてあげてくださいね。 任意継続した場合の保険料は退職時の健康保険料の倍ですが上限があります。標準報酬月額28万円が上限額です。 しかし、国民健康保険については会社ではわかりません。本人が国民健康保険課の窓口で調べること。その上でどちらか有利なほうを選択するように話してください。あとで国民健康保険の方が安かったと言われても会社では責任持てませんからね」

「保険料の低い方で決めていいのですか。その他には?」と、白石さんは気になります。

「任意継続の傷病手当金が廃止になったので、保険料で判断していいですよ」と黒田さんは答えます。

「経理部の緑川さんから質問がありました。退職したら、ダンナさんの扶養に入りたいと言っていますが、扶養に入れる人は、その方がいいですね? 保険料はゼロだし」

「まず、扶養になれるかどうかという問題がありますよ。60歳以上の人は雇用保険や年金などの収入も含めて年間180万円を超えるようであれば、扶養家族にはなれません。緑川さんに会社員の夫がいるといっても、失業給付の金額や年金額をよく調べてからにしないと間違ってしまいますよ。」

◆いろいろな問題あり!

そこへ、緑川さんがやってきました。緑川さんは、60歳で退職する予定です。

「また働くことも考えているけれど、これまで働き続けてきたので、数ヶ月は、ゆっくりしたいと思っています。こんな場合は、雇用保険からの失業給付はもらえないのですね」

またまた新しい質問に、白石さんはわかりません。

「そうですね、失業給付は働く意思のない人はもらえません。しかし、定年後、すぐに求職活動しない場合、通常1年の期間を最大2年に延長できるというしくみがあるので、それを利用すれば、休養後、仕事探しをするときに、失業給付を受けられますよ。ハローワークで相談してください。退職後すぐに相談に行ってくださいね」と黒田さんはポイントをおさえています。いつ、どこへ、どのような手続きをすればよいか、それをきちんと伝えておくことも大切です。

数日後、青木さんは、60歳以上も働き続けることを決心し、書類を持ってきました。そして、また質問です。

「私がこのまま会社で働き続けると、妻の年金は今のままでいいのですね。妻に聞かれて私もよくわからなくて。」

青木さんの妻は現在56歳で第3号被保険者です。青木さんが退職すると国民年金の第1号被保険者となり、保険料の負担が発生しますが、青木さんが引続き会社で働き、厚生年金にも加入すれば、妻も第3号被保険者を継続します。

「このまま第3号被保険者になれますよ」

「そうですか、国民年金の保険料を払わなくてもいいのですね。給料は下がっても、負担が少ないと、その分給料をもらっているのと同じですね。たすかるなあ」

このように白石さんは社員のさまざまな問題に対応しなければならず、そのために勉強もしなければならず、忙しい毎日です。そんな白石さんをみて、人事部長の赤星さんはアドバイスします。

「なんだか、社員の個別相談に追われているみたいだけれど、60歳以降、継続雇用した社員にどのように力を発揮してもらうのか、また、いろいろなノウハウをどのように後輩に伝えていってもらうかなど、人の活用をしっかり考えて実行していくのが人事担当者の役割だよ。それがわが社の継続雇用制度の本質なんだからね」

目の前の仕事に追われていた白石さんははっとしました。

「高齢者を雇用するということは、その高齢者の健康にも気配りする必要があるよ。体力的にも無理のきかない年代だから、労働時間の管理はしっかりやってほしい。健康診断の結果もよくみておくことだ。メンタルヘルスの勉強も必要だ。」

60歳での定年退職、継続雇用、年金、雇用保険などについていろいろと勉強中の白石さんですが、人事担当者の課題は奥深いと思いました。白石さんは、黒田さんを超える一人前の人事担当者になりたいと思います。

さあ、これから、どんな課題が待っているのでしょう。お楽しみに!