熟年離婚

縁あって連れ添った夫婦が末長く幸せに暮らしていけるといいのですが、人生には思いもかけないことがあります。危機を乗り越える夫婦もありますが、離婚となってしまう場合もあるでしょう。

1970年の離婚件数は約9.6万件でしたが、2009年には約25万件と70年当時に比べ約2.6倍になりました。しかし、2002年の約29万件をピークに離婚は減少傾向にあります。

離婚件数の増加とともに、熟年離婚という言葉が生まれるほど、長年いっしょに暮してきた夫婦が、定年近くあるいは定年後に離婚することも増えています。

平成19年4月よりスタートした離婚時の年金分割制度。制度開始を待って離婚した夫婦もありました。

熟年離婚は、老後の生活に大きな影響を与えます。年金分割は、年金を受け取る側にとってもバラ色の制度ではありません。

今回は「熟年離婚」がテーマです。

★熟年夫婦の危機

弥生さんは今年で結婚35年目です。昨年、子どもたちも独立して、夫婦ふたりの生活が始まりました。そのあと、夫が定年退職を迎えました。

さて、弥生さんは、ゆううつな気持ちになっています。

定年退職後、夫が毎日家にいるようになりました。弥生さんとしては、夫にもう少し会社勤めをしてほしかったのです。

60歳から夫が受け取る老齢厚生年金は月に10万円程度です。企業年金があり、財形年金貯蓄も続けてきましたので、ゆとりある生活には程遠いですが、なんとか生活していくことはできます。しかしながら、65歳で公的年金が増えるまで、働き続けてほしいと弥生さんは願っていました。

弥生さんはお金のことばかりを考えているのではありません。趣味のない夫のこれからが気がかりでした、心配する弥生さんに、退職を機会に資格を取りたいとか、スポーツジムへ通ってみようなどと、夫は言いました。そして仕事一筋で生きてきた夫は「もう疲れたので会社に残りたくない」と定年退職を選びました。弥生さんも、休ませてあげてもいいかなと思ったのです。

ところが、定年後の夫は、毎日何をするともなく、家で過ごしています。
家事を分担してくれるのならまだしも、その気配もありません。気が向いたときにお風呂掃除をするくらいです。弥生さんは、そんな夫と過ごすのが息苦しくなってきました。家にいると、いやでも夫の行動が目に入り、弥生さんは毎日イライラするようになってきました。

先日、家事の分担をめぐって、大ゲンカになりました。これまで、そんなに大きなケンカをすることはなかったのですが、お互いにストレスがたまっていたのでしょう。

弥生さんは気がめいってしまい、友達にこの話をしました。友達は、「定年退職した夫はそんなものよ。離婚するわけにもいかないでしょ」と言います。

弥生さんは、長い結婚生活の中で離婚を考えたことがないとは言いませんが、友達から「離婚」という言葉を聞いて、この言葉が頭から離れなくなってしまいました。

弥生さんは専業主婦です。時々、知人のお店でアルバイトをすることもありますが、収入は小遣い程度です。

子どもは独立し、これからは夫婦ふたりの暮らしを考えていかねばならないときです。離婚なんてありえないと思う一方、夫の姿をみると、ますます、離婚の二文字が頭から離れなくなっていきました。

★年金分割とは?

老後の生活設計を考えるとき、一般的には夫婦の年金を中心に考えます。

働いて得る収入がなくなれば、夫婦の年金を基礎として、不足する生活費はこれまでの貯蓄などで補っていくことになります。

ところが、離婚となると、年金やこれからの暮らしはどうなるのでしょうか。共働き夫婦はお互いに自分自身の年金を持っていますが、夫がサラリーマン、妻が専業主婦の場合、夫婦の年金に大きな差が生じています。離婚すると年金の少ない妻は不利になります。この夫婦の年金差を解消するために、平成19年4月から離婚時の年金分割がスタートしました。

離婚時の年金分割については、まだまだ誤解が多いです。
年金分割とは、年金額を計算して、それを定めた割合で分けると思っている人も多いかと思いますが、それは違います。年金分割とは、「年金記録」を分割するということです。年金記録の分割とは、「年金記録の書き換え」なのです。

では、年金記録の書き換えとはどういうことでしょうか。
夫がサラリーマン、妻が専業主婦というケースで考えてみましょう。
夫は厚生年金に加入しています。厚生年金加入中の給料(標準報酬月額)やボーナス(標準賞与額)の記録にもとづいて、夫は老齢厚生年金を受け取れます。また国民年金からの老齢基礎年金も受け取れます。ところが妻は国民年金への加入ですので、受け取れる年金も老齢基礎年金だけです。

そこで、夫の厚生年金の記録を、合意した割合で書き換えて、妻も上乗せ年金である老齢厚生年金を受け取れるようにするのが年金分割です。

たとえば給料(標準報酬月額)が30万円と記録されていたとします。年金を2分の1に分割するということは、その30万円の記録を、夫15万円、妻15万円に書き換えるということです。それぞれが年金を受け取る年齢になったら、書き換えた記録で年金額を計算するということなのです。

これは厚生年金の記録を分割するという仕組みです。国民年金から支給される老齢基礎年金は分割の対象とはなりませんので、夫の年金全部の半分もらえると妻が考えたらとんでもない間違いとなってしまいます。また、年金分割は、自営業夫婦には関係ありません。

このように、厚生年金の記録を書き換えることになるので、その手続きは簡単ではありません。公正証書を作成するか、裁判所の決定がないと記録の書き換えはできない(分割できない)のです。

簡単に年金記録が書き換えられたら、それこそ一大事ですから!

そして、一度書き換えた記録は元に戻ることはないということも理解しておきましょう。

年金分割後に、夫が死亡したらどうなるか、妻が死亡したらどうなるか、妻が再婚したら年金を取り戻すことはできるかなど、いろいろな疑問が出てくるかと思いますが、答はひとつです。一度書き換えた記録は、どんなことがあっても元に戻らないということです。離婚後の生死や再婚などで、年金分割が影響を受けることはありません。

年金分割を行うと、いつから分割した年金をもらえるのかということですが、それは自分自身の年金の支給開始年齢からです。

弥生さんは55歳。夫は60歳。ここで離婚して年金分割すると、夫の年金は翌月から減額されますが、弥生さんの年金の支給開始が65歳であるならば、65歳までは何も受け取れません。

★分割で増える年金

受け取りは自分自身の年金支給開始年齢まで待たなければなりませんが、弥生さんのように専業主婦であれば、年金分割によって自分の年金額は増えます。

ここでは大切なことは、どのような割合(按分割合)で年金を分割するかということです。按分割合は最大で50%です。夫がサラリーマン、妻が専業主婦であれば、50%の範囲内で合意に基づいて分割割合を決めることになります。

2分の1(50%)とは限りません。話合いにとっては40%、30%となることもあるでしょう。もちろん分割した年金を受け取る立場から言えば、50%と定めるのが有利です。

共働き夫婦の按分割合はちょっと複雑です。年金分割のための情報提供を受けると、そこには分割できる範囲が示されています。

また、年金分割は多い方から少ない方へと記録を分けるということですので、夫から妻へとは限りません。夫婦の記録によっては、妻から夫へと年金分割をすることもあります。

平成20年4月には、3号分割と言われるもうひとつの年金分割制度がスタートしました。これは、第3号被保険者期間については、夫婦の合意や裁判所の決定なしに、離婚後、当事者の請求によって2分の1に年金記録を書き換えられるという仕組みです。

ただし、この3号分割は、平成20年4月以降の第3号被保険者期間が対象です。長い結婚生活を経て離婚を考える場合は、平成20年3月までの期間については、専業主婦であっても、自動的に分割できません。話し合いをしたり、裁判所の決定を受けたり、時間も労力も必要になります。

また、婚姻期間の短い人は、かりに50%で年金分割の合意が得られたとしても、実際に受け取れる金額はわずかということもあります。年金分割は婚姻期間に限られるのです。

★分割で減る年金

離婚時の年金分割で年金が増えるというのは、あくまでも年金を受け取る側の言い分です。

年金を分ける側からすると、年金が減ってしまいます。ただでさえ少ない年金がもっと少なくってしまうと、分割した方の老後の生活設計も見直さなくてはなりません。

影響は老後の暮らしだけではありません。

離婚で年金額が少なくなってしまった夫が、その後再婚し、再婚後死亡した場合を考えてみます。再婚した妻は夫の死亡により遺族厚生年金を受け取れますが、再婚した妻が受け取る年金額も少ないものになってしまいます。 遺族厚生年金は、死亡した人の老齢厚生年金を元にして計算されます。半分に減ってしまったら遺族年金も大幅減額。

再婚相手が離婚分割をしているかどうかで、受け取る遺族年金額に影響が出るのです。こうなると、年金分割した人が再婚する場合、再婚した相手の生活保障も考えておく必要がありそうです。

★離婚で失う年金

年金制度は夫婦単位の制度です。

厚生年金に原則20年以上加入した夫に65歳未満の妻がいる場合、夫の年金に配偶者加給年金が加算されます。これは年金の妻手当のようなもの。年額約40万円ですので、大きな手当です。

離婚で失うものは、配偶者加給年金のような夫婦への特典です。加給年金が加算されている夫が離婚をすれば、それ以降、加給年金はもらえません。

加給年金は妻の年金へも影響します。夫婦の場合、夫の年金に加算される加給年金は、妻が65歳になると、今度は妻の老齢基礎年金に上乗せされます。これが「振替加算」です。

妻が65歳になる前に離婚すれば、妻の年金に振替加算は加算されません。

妻が65歳になって、振替加算が加算されるようになったのちに離婚すると、振替加算はその後もずっと妻の年金に上乗せされます。

ただし、安心はできません。
離婚分割で夫から20年以上の記録を分割してもらったときは、振替加算の権利もなくなるのです。

年金分割で年金を受け取る方にとっても、離婚分割が有利になるかどうかはわかりません。振替加算がなくなることにより、年金分割の効果が失われていくこともあります。

離婚とは、年金上の夫婦の特典を失ってしまうということなのですね。

この他、離婚によって失うものは遺族年金の権利です。遺族年金とは夫婦だからこそ、夫が死亡したあとに妻が受け取れるのです。

離婚を選ぶということは、お金の面でも、ひとりで生きていくということの選択です。

★夫婦とは

弥生さんは離婚時の年金分割の仕組みを知れば知るほど、離婚後の暮らしはきびしいものだと感じてきました。

近ごろ、弥生さんは、知人の店を手伝う時間を増やしました。お店がタウン誌に紹介され、忙しくなって、アルバイトの時間を増やしてほしいと頼まれました。弥生さんは家にいるのもつらいので、アルバイトの時間数を増やしました。

ところが、弥生さんが家にいないと、何もしなかった夫が、洗濯物を取り込んだり、庭掃除をしたり、少し動き出すようになりました。それは弥生さんにとっても意外なことでした。

お互いに距離を置いて過ごすことで、よい関係を作れるのでしょう。

弥生さんがほんとうに別れたいのなら別ですが、今ちょっといやだなあと思っている程度であれば、距離を置きながらも、自分の人生を考えてみるのがよいかもしれません。

もちろん「年金対策」だけではないですけれど、長年連れ添ってきた夫婦ですもの、これからも夫婦でいきいきと楽しく暮らせれば一番いいですね。

やむをえず、離婚を決意するときは、次のことに注意をしてください。

年金分割の手続きは、まず、情報提供を受けて、その範囲内で按分割合を決めます。話し合いができないとき、合意に至らないときは、家庭裁判所へ相談してください。

年金分割は離婚後2年以内に請求しなくてはなりません。裁判で話し合いがつかない場合は別ですが、2年を経過すると分割できなくなってしまいます。

年金分割を望むなら、きちんと合意ができたのち、離婚届を出すことです。